『何もかもが駄目になってしまうまで』

UNTIL EVERYTHING GOES WRONG Review


朝焼けエイトビート さん

無垢で無防備なコーラスから「グラジオラス 胸に抱いて」と軽やかに歌い出される1曲目「イノセンス ミッション」を聞いて、思わず頬が緩むとともに胸の奥がチクりと針で刺されたような気がした。22年ぶりにリリースされたb-flowerのニューアルバム『何かもかもが駄目になってしまうまで』――永久凍土の中で眠っていたのでも、真空パックの中で保管されていたのでもなく、「22年」という時の流れを、同じ時代を生きて風に吹かれてきた歌詞とメロディが、このアルバムを貫いている。それは、甘くせつないノスタルジーとロマンチックと同時に、色褪せぬことのない静かなプロテストを滲ませている。

全11曲の収録曲には、2012年リリースの12年ぶりのシングル‟つまらない大人になってしまった”以降の‟純真”(2015)、‟僕は僕の子供達を戦争へは行かせない”(2016)、‟自由になりたい”(2018)、‟SPARKLE”(2018)、‟Another Sunny Day”(2018)が収録されている。2012年の復活から2020年までの8年間に発表された曲と今回新たに収録された曲とが、ジグソーパズルのピースのように絶妙に嵌まり合って、b-flowerの唯一無二の詩情と音像を1枚の「写真のような絵」あるいは「絵のような写真」のように浮かび上がらせている。モノクロームの写真の方が被写体の存在感を鋭く伝えるように、静かであるがゆえに雄弁なインストゥルメンタルの2曲も含め、この11曲がこの曲順であることの必然性が、聞けば聞くほどに伝わってくる。

そして、「まさにネオアコ」な、歌詞、メロディ、アレンジ全てを通してきらめきを乱反射させるアルバム冒頭の3曲を経た、4曲目‟僕は僕の子供達を戦争へは行かせない”。フォークロア調の流麗なピアノとささやくようなボーカルが印象的なこの曲で、八野英史は曲のタイトルそのままに、静かにけれど毅然と歌う。

僕は僕の子供達を戦争へは行かせない
人を殺していいとは教えられるわけがない
僕は僕の子供達を戦争へは送らない
風邪をひきましたとズル休みをさせる

 八野英史の詩才を思えば「異色」ともいえる直接的な言葉遣いであるけれど、これらの率直な言葉遣いとそこに込められた覚悟もまた、いやそれこそ、「詩才」と呼ばれるべきなのかもしれないということ。歌う対象とベクトルは異なっていても、言葉の率直さと純粋さという点では、<身も心も残さず/僕のすべてを捧ぐよ>と歌う‟純真”とこの曲は地続きであり、この曲もまた「ラブソング(愛の歌)」なのだということ。

『何もかもが駄目になってしまうまで』というアルバムタイトルの通り、このアルバムの世界観は決して明るくはない。むしろ悲観の影が濃い。けれど、悲観や諦念を錘(おもり)のように足首にぶらさげながらも、それでも胸の奥をざわざわと波立たせる美しさとみずみずしさが、このアルバムにはある。だから、最終曲「葉桜」が美しくフェイドアウトするのではなく、どこか不穏に途切れるように終わるところに、b-flowerの美しき闘争(プロテスト)が完結することなく、さらに続いていくことを予感した。それはブックレット中央の見開きぺージで、2016年に逝去したドラムの岡部亘氏も含めた6人のメンバーが白い道を歩く後ろ姿にも重なって見えた。

八野英史は<くだらない世の中だ 間違ってる>(僕は僕の子供達を戦争へは行かせない)と、<なんでこんなつまらない大人になってしまったんだ>(つまらない大人になってしまった)と歌う。けれど、くだらない間違いだらけの世の中で、つまらない大人になった自分でありながらも、生きる意味があるとしたら、それはb-flowerの音楽が今もなお、2020年の今に、現在進行形で美しくあるからなのだと思う。そして、それはこんな美しき宣言(マニフェスト)とともにある。

虹が消えた後の冬の空に
もう一度 橋をかけるための淡い太陽になろう
(Another Sunny Day)

 


『純真』7インチ発売時レビュー集(by Sugarfrost Records)

 

鈍く輝き、深く沁み、そこに在る、愛の歌

 

 

夏目漱石はI Love Youという言葉を月が綺麗ですねと訳したとされる。この話には諸説あるけれど、彼の作風から考えるに、デマとしても確かに良く出来た話ではある。で、仮にあったこととして、何故漱石がそんな訳し方をしたのかと考えるに、あなたを愛してますという直訳では、そのフレーズに生命を吹き込めないから、と漱石が判断したからではないだろうか、と僕は思っている。

 

あなたを愛してますとそのまま訳す、口にするのは簡単だけれど、本当に愛してますという言葉を相手に届ける際に、その言葉の意味を字義通りに伝えることができるのか。その言葉は辞書に載る意味通りに、生きた言葉として、生きた思いを込め、届けることが出来るのか。漱石は最後まで、I Love Youという言葉を、その言葉のまま、ストレートに伝えられなかった。それは現実の生活においても、小説の中でも。だからこそ「それから」や「こころ」を書けたのだろうけれど、それは彼の周りの人、とりわけ家族たちに、様々な不幸をもたらしたと思う。

 

八野英史は今回、純真という新曲で、今までになくストレートな詞を書いた。過去の作品、直近の四月の恋と比しても、その差異に唖然とする。彼もまた月が綺麗ですね的な表現を常にしてきた人だから。

 

が、聴けば分かるはずだけれど、そこに違和感はない。それは今まで僕らがbを聴いてきて、月が綺麗ですね的な表現に込められていたものの中にあるメッセージを、ちゃんと受け取れてきたからだろうと思う。ただし、それはまた諸刃の剣で、bの、八野英史のリリシズムが、難解なものとして広まらなかった原因として、月が綺麗ですね的な表現が伝わってこなかったという現実があったと思う。だからこそ、僕は純真が嬉しい。

 

純真では、月が綺麗ですね的ではなく、そのままな言葉が、そのままの意味で届いてくる。漱石は「それから」でも「こころ」でも「夢十夜」でも、結局I Love Youという言葉を使えなかった。八野英史もFive Beans Chup結婚しようでは、歌い手は子ども、という設定をすることで責任を巧妙に回避した上でI Love Youと歌ったけれど、遠回りを必要とした。それくらい、言葉を大切にする者には高いハードルを、八野英史は今回越えてきた。I Love Youと同じくらいにストレートで、同じくらいに重いYou are the one for meというフレーズを使っている。それが、そのままの意味で、届く。鈍く輝き、深く沁み、そこに在る、解釈の逃げ場を排した、愛の言葉。漱石も、数多いる表現者の到達し難い領域に、八野英史は入ったのだと思う。ハードルを越えた先にある風景は、月が綺麗ですねの表現が抱える意味を探す手続きを必要としない、誰もにストレートに伝わる真っさらで鮮やかな世界が広がっている。

 

bが長い冬眠を経て復活したのは、きっとこの歌を歌うためだったのだ、と言い切ってしまおう。

 

日下部将之

ムクドリの会