the very best of b-flower   review


b-flower『the very best of b-flower』特設ページより

 

 

■両側に、今もいます 伊藤英嗣

 

 かつて彼らはぼくの最大のライバルだった。

なぜなら以前ぼくは、かなり真剣にギター・バンドをやっていた。90年代前半メジャー傘下に設立したレーベルのオムニバスに、その音源を入れたりしていた。

ちょうど同じころ、尊敬するクリエイション・レコーズも、日本発祥ソニーのメジャー資本を導入し、その傘下に入ったところだったから、なにも躊躇することはなかった。

そのレーベルがスターワゴン(ペンパルズの前身)や暴力温泉芸者(中原昌也の当時の音楽活動名義)などをリリースして軌道にのったこともあり、そしてぼく自身クッキーシーンの前身自主制作雑誌を始めたこともあって、ぼくのバンドは自然消滅。ふたつ以上の仕事に打ちこむのは難しい。実際クッキーシーンを始めた直後、レーベルも活動停止した。まあ、これも偶然、自然の摂理のようなものだったと記憶している(笑)。

 

 話をb-flowerに戻そう。

彼らは、ふたつの意味でライバルだった。ひとつは90年代前半当時、彼らが先述のレーベルの「親」にあたる東芝EMI傘下ポル・スプエスト/スイート・スプエストに所属していたこと。

これは、まあ普通。美しい記憶だ。

しかし、よりややこしいのは、彼らが、まさに、ぼくがバンドとして80年代からやりたかった音を鳴らしていたこと。

 

 まったく同じころ、それを強く感じさせてくれたもうひとつのバンドがあった。それは、フリッパーズ・ギター。今こうして、当時から現在に至るb-flowerの音源の、とりわけ初期の部分を聴きかえしてみると、中性的かつ青いヴォーカルなど共通項が決して少なくなかったことが、あらためて理解できる。

 ちなみにb-flowerは1985年結成。フリッパーズ・ギター(の前身ロリポップ・ソニック)のそれより早かった。そして90年代前半、後者のメンバーと日常的に話していたとき、彼らがb-flowerを高く評価しつつ、いい意味でのライバル心を持っていたことは、いつもひしひしと伝わってきていた。

 

 今挙げた2バンドの最大の相違点を挙げるとすれば、のちに渋谷系というタグに繋がったことからもわかるとおり、かなり都市型のスタイルを持っていた後者に対して、前者のそれが郊外的(言葉本来の意味でサバービア)であることだろう。

 情報の入れ替わりのスピードが速く、スクラップ・アンド・ビルドという悪習から未だ脱けきれない「都市」に対して、もう少し時間の流れが人間的な「郊外」。

 コア・メンバーの入れかわりも緩やかなまま、最新リマスタリングが施されているとはいえ、録音時期として約25年間におよぶこの2枚組アルバムが驚くほど気持ちよく聴けてしまう理由は、おそらくこのあたりにある。

 

 音楽的にいって、b-flowerが最も近いのは、70年代末~80年代前半のポスト・パンク/オルタナティヴ・ミュージックのなかのポップ/アコースティックな部分だろう。しかし、ここにはそれ以前、ワン・ディケイド前のジョニ・ミッチェルのカヴァーも収録されている。

〝青春の光と影〟という邦題も悪くはないが、こうやって考えてみると、むしろ原題のほうが、ぐっとくる。

〝Both Sides Now〟。

 

 渋谷系というタームの直前、同じくフリッパーズ・ギター周辺が流行らせたネオ・アコースティックという言葉は、実は日本独自のものであり、音楽的発祥の地イギリスにおける、それのピークは1980~1984年だった。そのころは、単に日本では「新しいアコースティック」とか、そんなふうに呼ばれていた。b-flowerが結成された1985年といえば、ザ・スミスが最もロックなセカンド・アルバム『ミート・イズ・マーダー』を発表した年。

 そういえば、今、思いだした。かつて「スミスはネオ・アコに含まれるかどうか」などという議論があった。そんな話をふられるたびに、ぼくはこう言っていた。「どっちでも、いいじゃん、そんなこと(笑)。ただ、スミスは、きみにとってはちょっとロックすぎるのかもね」。

 

 ザ・スミス解散後、モリッシーはソロでこんなタイトルの曲をリリースした。〝We Hate It When Our Friends Become Successful〟。これは若気の至りとして笑うべきところだろうと、今も思っている。

 そして、クリエイション・レコーズ傘下のダンス・ミュージック・レーベルから出ていた〝I Hate Hate〟という曲名を当時から現在までモットーとしつづけているぼくは、b-flowerの現在を、心から祝福する。

 

伊藤英嗣(クッキーシーン)

Hidetsugu Ito (COOKIE SCENE)

 

 

■ライナーノーツ(一部抜粋):山内章子(Sugarfrost)

 

とうとう出る! b-flower のベスト盤が!!

 

そう言われてもあまりピンとこないかもしれないけど、結成はフリッパーズギター前身のロリポップよりさらに早い85年。そして今でもほぼ同じメンバーで(ブランクをはさんではいるけど)活動中。 こんなに長いあいだ仲間割れもせず時代にも左右されず黙々と 自分達の音楽を作ってきた彼ら。そんなバンド他にいる? 現存する日本最古のネオアコバンドって褒め言葉だと思うよ。

 

英インディーレーベルの歴代ベスト10にも挙げられるSarahにインスパイアされて自分達でSeeds Recordsを立ち上げデビューしたのが90年。その後東芝EMIと契約し98 年までに発表された楽曲を中心に集めたのがこのベスト盤です。インディーシングルとしてはとても穏やかな「静かにして、何もしない」はBBCの伝説DJジョンピールにもとりあげられ、辛口で有名な音楽紙でさえ 日本語で歌う彼らの音楽を評価してくれました。Sarahのバンド、アナザーサニーデイのハーヴィは「静かにして」をインディーポップのベストの一枚に挙げてます。

 

Sugarfrostからリリースされたb-flowerシングルは他に「誕生日」そして復活後の「純真」。一貫して穏やかに心を洗うような 音世界がそこにあります。しかしまた一般的に(時には揶揄的 に)ネオアコと呼ばれる彼らのもうひとつの側面は、そのロックバンドとしての振り幅の広さ。2010 年に活動再開プロジェクトとして 始まったLivingstone Daisy の包み込む優しさも彼らだし、かたや「Yeah!」のような定番ライブアンセムもあれば、商業ポップ寄りの 「Jet Jet Coaster」、「太陽の雫」なんてメジャーの貫禄溢れる名曲。

 

それに加えてアイリッシュトラッドやノベルティ的な曲もガツンとロックな曲もとてんこ盛り。このベスト盤には彼らの音楽的広 がりが顕著に現れてます。b-flowerというバンドは聞いたことがあっても、すべてを通して聴いてるって方は意外と少ないんじゃないかな? シングルスコンピじゃなくて彼ら自身の選んだ35 曲、きっと再発見あると思います。

 

【山内章子プロフィール】

 大学在学中2回の渡英を経て1988年、奈良でぼうしレーベルを設立。当時まだ一般的でなかったクラブイベント「アノラックパーティ」を主催。ロリポップソニック(後のフリッパーズギター)、ペニーアーケード、デボネア出演の「アノラックパーティ」第一回のライブカセットがファーストリリースとなる。イギリスのファンジンシーンに触発されて4号まで作成した「ジョージスクウェアから5000マイル」は日英語で書かれ、後にSarah Recordsを設立するマットヘインズに評価され交流を深める。

また「アノラックパーティ」の延長としてクラウドファンディングの先駆的な企画である「おこづかい来日」を敢行、イギリスよりロドニィアレン等のアーティストも招聘するなど多岐にわたる活動を続け、当時のインディーシーンを牽引、現在に至る礎を作った。

大学卒業後グラスゴーでの留学を経て、リバプールでレーベルSugarfrostを設立し、ピュア(エヴァルーナ)を筆頭に日英仏の良質のインディポップ・ネオアコバンドを多数輩出。イギリスで最もリスペクトされるDJジョンピールのJohn Peel Sessionに2度にわたって出演を果たしている。

フォトグラファーとしてはSarahのレーベルロゴのさくらんぼで知られるが、他にもパステルズ、ウェイク、セントクリストファー、ネロリーズ等を手がける。2014年レーベル再開後も当時のインディー精神を貫き、自らの信念の赴くままに発信し続けている。現在はニュージーランド在住。

 

 

■国内外のクリエイター、関係者からのコメント

 

白いリラの花言葉

『the very best of b-flower songs written between 1987 and 1998』に寄せて

 

初めて「ペニーアーケードの年」を聴いたのは、九州の片田舎から上京してきたばかりの、僕が大学1年生の頃だった。流麗な日本語で綴られた歌詞はまるで僕がその当時読み耽っていた翻訳文学のようで、とても衝撃的だった。アメリカ?イギリス?ヨーロッパ?それは僕にとって“ここではないどこか”の話だった。キラキラと眩しく乱反射する光に、手をかざして目を細め、僕はいつしか白昼夢のようなその物語を風の中に見失ってしまう。

 

結局僕が大学時代に習得したものといえば、どうにも潰しの利かない、なけなしの修辞技法と夢見がちなロマンティシズムだった。なんとなく気恥ずかしくて、マーク・トウェインとJ.D.サリンジャーとビート文学を専攻していたことを新しい友だちに素直に打ち明けられないときもあったけれど、このまま霞を食べて生きていくのかと思っていた自分が今ではなんとか、多感な季節に胸いっぱいに吸い込んだ空気を糧に、言葉と旋律で歌を編んで生業を立てている。

 

偶然か必然か、僕がb-flowerを“再発見”した2016年に、そのキャリアを総括したベストアルバムがリリースされることになった。ほぼ時系列に並べられたその歌たちに触れて、僕は驚きを隠せないでいる。四半世紀近く前、手をかざした指の隙間から覗いた眩しい風景は色褪せることなく、むしろ今こそ、かつて“ここではないどこか”だったはずの眺めがリアルに胸に迫りくるのはなぜか。まさに10月の午後に聴いた「October Song」のなかには「変わらないために変わり続けるんだ」というフレーズが光った。僕もあなたも、彼も彼女も、過ぎた時間の分だけ歳を取ったけれど、このレコードを聴いて遅れてきた青春を祝福されているみたいな気分になるのは僕だけではないはずだ。 b-flowerは時を越えてそっと背中を押してくれる。 トム・ソーヤー、ハックルベリー・フィン、バナナフィッシュもフラニーもズーイもケルアックも全部ひっくるめて、好きなものを好きだと宣言することに、もう僕はなんの躊躇もない。

 

2012年の再始動後に発表された「つまらない大人になってしまった」をはじめとする彼らの楽曲群(再録された2014 Kyoto Versionも含め)が明確に現在進行形のサウンドであることがなにより嬉しい。このアーカイブス集に続く21世紀最初の新作を切望しつつ、b-flowerの軌跡とこれから先の未来に、真っ白なリラの花束を捧げたい。

 

山田稔明(GOMES THE HITMAN)

 

僕が喪失できる世界というものがある。

グリニッジ半島からシルバータウンの間のどこかで、地図にも載らないような辺鄙な場所を僕は歩く。ひたすら歩き続ける。そしてどこかに行き着いた時に僕はいつも、Grocery Andromedaを聴いているのだ。

 

森の中にある僕の掘っ立て小屋の中で聴く。

ルーベックからの終電の中で聴く。

ダンジョネスのゴツゴツした浜辺にうつぶせになって聴く。

 

b-flowerは孤独を愛する者のために音楽を作る。

彼らのベストソングから伝わってくるのは有形の虚無だ - 例えば空っぽの家だとか忘れ去られた部屋だとかの。それは眠りのない夜のための音楽であり、独房のための音楽であり、隠遁者のための音楽なのだ。

 

静かにして、何もしない。たったひとりで。

Eddie Oxley / Evelyn Tremble(UK)

 

 

b-flower を知ったのは1990年ごろ、当時大阪心斎橋で営業していたレコード店、ジャンゴで、店長の松田さんが「日曜日のミツバチ」を大プッシュされていたのがきっかけでした。その後縁あって、同じポルスプエストで、さらにUKのしゅがふろすとでもレーベルメイトとなり、「日曜日のミツバチ」以降の作品も近くで聴く機会に恵まれました。堅実さ、アウトプットの質の高さは実に「日曜日のミツバチ」のころからブレることなく、ブレまくった我がネロリーズとは違って、レーベル中でもすでに孤高の域に達していたと思います。当時何度かツアーもご一緒したと記憶していますが、私から見るとb-flower = 先輩、大人のバンドという認識で、気軽にお話できなかったです。今考えると当時のみなさんは、今の私よりもずっと年下なんですけどね。そして数年前からの見事な復活は、90年代前半の夢を読み直すのではなく、夢の出口を指し示しているようで、とてもインスパイアされます。

栗原淳(ネロリーズ)

 

 

僕がb-flowerのことを知ったのは、Fuguの7インチリリース契約のため訪れた際にSugarfrostの音楽を聴かせてもらった時でした。ビーチボーイズ、ソフトロックとC86がイノセントに混じり合ったような音楽で、その新しい音世界の一部をなしていたのがb-flowerでした。あの時僕は、彼らとレーベルメイトとなり同じ流れに乗っていくそのことに高ぶりを覚えていました。僕にとって彼らの音楽は、あのちょっとした黄金期とでも呼べるような懐かしい時代のサウンドトラックでもあるのです。

Mehdi Zannad / Fugu (France)

(デラックスエディション封入のファンジン「friends of b-flower+Livingstone Daisy ムクドリ特別号」より抜粋)

 

 

何年か前に八野さんにインタビューさせてもらった時、彼の作る音楽がどんなに好きか伝えることができて本当によかったです。彼らのディスコグラフィの大部分がリリースされた90年代に僕はまだ幼くて、彼らのシングルやアルバムに出会ったのはゼロ年代になってから。僕はインディーポップマニアだったから(今もだけど)彼らの美しい音楽に出会えたのは伝説のレーベルSugarfrostのおかげでした。

 

長いこと僕は世界中のインディーポップファンと交流してきました。ドイツには自分の作るミックステープ全てに「冬の最後の雪」を入れるって友達がいた。彼女も日本語だめだったけど、あの曲は彼女にとって定番中の定番で。最初のコードを聞いただけでぶわっと溢れる思い出がある。出会った人たち、場所、いろんな瞬間。b-flowerにはそんなチカラがあるんです。自惚れたポップスターじゃなくて、僕らと同じ普通の人たち。それは僕が彼らの曲から受ける印象そのもの。聴くたびに、彼らのその誠実さに僕は背筋が伸びる思いがするんです。本当に。

Roque Ruiz / Cloudberry Records (US)

(デラックスエディション封入のファンジン「friends of b-flower+Livingstone Daisy ムクドリ特別号」より抜粋)

 

 

こんにちは、b-flower

ベスト盤CDが出るなんて素晴らしいわ、おめでとう!Sarah Recordsではb-flowerのことを、スリーブ写真をいくつか撮ってくれて友達でもあるSugarfrostのアキコを通じて知ってました。彼女の撮ってくれた写真は私たちもすごく好きで、Sarah Recordsの中でもベストに入ると思うの。b-flowerの作る音楽には深い親しみを感じてました。特に英語じゃなくて日本語で歌ってるところがとても好きなんです。

Clare / Sarah Records (UK)

(デラックスエディション封入のファンジン「friends of b-flower+Livingstone Daisy ムクドリ特別号」より抜粋)

 

 

1997年の3月、僕はニューヨーク・シティに初めてやって来て、キース・ダーシィなる人物のやっかいになっていた。ある晩僕らはホボケンにある彼のレコード部屋でのんびり過ごしていて、そうそれはその後いくどとなく繰り返されることになる夕べの時間だったのだが、いつものごとく彼はレコードをサクサクとしながら、僕に言った。「これ知らないのかい?あぁこれはゼッタイに聞かなくっちゃダメだよ!」彼はポリ袋に半折りスリーブ(あの頃はこういう様式だったのだ)の7インチシングルを引き抜いて、レコードに針をとても優しく落とした。ミニマリストなピアノが四小節、そして始まったボーカル部分は極めてシンプルながら波打つようであった。それはうっとりとして切なく求めたかと思えば、潮のように引いては流れていくが、その間にも平静を保ったまま姿勢を崩すことがない。僕はあっという間にその世界に吸い込まれて行った。そして飾りも何もない2分間は、気がついたら終わっていた。その時僕には分かった、なぜキースがあんなにも細心の注意を払って針を落としたのか。「静かにして何もしない」はこれほど繊細な曲だから、ほんの少し手元が狂っただけできっと傷つけてしまうのだ。この曲を聴く時はいつも、本当に頻繁に聴くにもかかわらず、僕はあの晩に引き戻される。もう20年になるというのに。メントールのようにすっと心を穏やかにしてくれる、これは完璧な曲だ。キースよ有難う、そしてドーモアリガト英史。

Harvey Williams / Another Sunny Day (UK)

(デラックスエディション封入のファンジン「friends of b-flower+Livingstone Daisy ムクドリ特別号」より抜粋)

 

 

良い音楽というのはいつも、心の中で、思い出の中にあるどこかの場所や瞬間に連れてってくれるもののことを言うんだよ。僕にとってb-flowerといえばWorld’s End Laundry。「リラの咲く日々」の最初のコードを聞いただけで僕は1993年に引き戻されてる。21歳の僕。人生がまだいろんな可能性に満ちていたあの頃。

 

僕のバンドPureはb-flowerと、その前の年にThe Birth Of The True発売記念日本ツアーで知り合った。初日のツアー前リハーサルの時から、b-flowerは明らかに抜きん出てたよ。少なくとも僕らの拙いインディーポップに比べたらね!余裕の見える演奏の確かさ、音楽的な影響(ネオアコ、The Smiths、Felt、良質60年代ポップ)は丸わかりだったけどでも、ハチノの透明で切れのいいボーカルが曲を単なる模倣の域からぐっと押し上げてた。そしてもちろん、日本語の歌詞は僕にとってちょっとした神秘でもあったしね。

 

僕は幸いにも、オックスフォードにあるお屋敷のようなマナーハウススタジオでのWorld’s End Laundryのレコーディングにお邪魔させてもらえたんだ。僕は彼らと一緒にツアーしたおかげで曲はだいたい知っててね、イングランドののどかな田舎の風景の中でそれらの曲が磨き上げられていくのを見たんだよ。本当にパーフェクト。初めっから終わりまで素晴らしいアルバムだよ。

 

もちろんb-flowerは他にもたくさんのいいアルバムを出してるし、今もいい仕事をしてると思う。これからもずっといい音楽を作り続けてくれるよう祈ってるよ。だって人生はまだいろんな可能性に満ちてるんだからね。

Graeme Elston / Pure, Eva Luna, Love Parade (UK)

(デラックスエディション封入のファンジン「friends of b-flower+Livingstone Daisy ムクドリ特別号」より抜粋)